二つの柱   ジャン・ファシナ先生とナルシス・ボネ先生

 

 

 ファシナ先生のこと

 

それはとても静かな時間でした。

先生とのレッスンの始まりは、発音動作(打鍵)とともに、音の立ち上がりから消えゆくまでを一音一音徹底的に聴く、ということに始まりました。

書道家が一つの線に何百回とついやすのにも似ているかもしれません。

 

一時間半のレッスンの間ずっと、ひたすら一音、また一音・・・

 

こんなレッスンはほかにはありません。

 

でもそれこそが耳を開くことにつながるのです。

何か月かの間、ほかの曲を弾くことは一切禁じられていました。

「とても研ぎ澄まされた感覚と集中力のいることだから、一日1時間半~2時間以上練習してはいけないよ。その代わり美術館に行きなさい。」先生はそうおっしゃったのでした。

静かな根気のいることですが、私はそれが好きでした。シンプルなことの奥には、今まで見えなかった世界が広がっていたのです。

 

的の中心を射抜いたような本物の音の美しさ、音楽から切り離した「一音」というものをここまで深く掘り下げて学べたことは、大変に貴重なことでした。

 

座り方始まり、姿勢やフォーム、日本のレッスンでは見たこともない親指の使い方やヴァイオリンの弓使いを思わせる細かな手首のフレージング、独自の指使いなど、先生の奏法は私にとって全く新しいもので、今までのやり方すべてを変えなければなりませんでした。しかし、一音一音から始まった手が段階を経て速いパッセージを弾いたとき、これがピアノを弾くということ!とまさに目からうろこが落ちたのを覚えています。

 

いろいろな感覚をひらくこと、身体の自由さ、本当の意味での「聴く」ということ。

本当の勉強はこうして始まったのです。  

 

 

2019年7月、先生の突然の訃報──

 

私の弾く一音一音を、隣でじっとともに一点の妥協なく聴き取って下さった先生の「教え」は 受け継がれ、きっと生き続けると信じます。

 

また先生はドからオクターブ上のソまで(!)が楽に届くという、私にとっては熊のように大きな手の持ち主でしたが、大変繊細で花をこよなく愛し、レッスン室にはよくきれいな花が活けてありました。ある夏の日にシャクヤクの花が活けられており、話が弾んだことを香りとともに思い出します。

 

 

 

 

   ボネ先生のこと

 

 

 音が意思を持つ、ということをよりはっきりと学んだのは、作曲家であるナルシス・ボネ先生からです。楽曲分析(Analyse)の授業がきっかけでした。

 

先生がピアノに向かわれるとき、4声体の和音の課題はただの和音の連なりではなく、音が自ら進みたい方向を物語っていて、さすがは作曲家だと思ったものです。

 

また後に受けた演奏解釈(Analyase par interpretation)の授業では、様々な作品を生徒の実際の演奏を通して先生が解説なさるのですが、それが作曲家の視点でとても興味深いのです。

その音をどうとらえるかで、がらりと演奏が変わります。

いつも新しい発見がありました。譜面に隠されているものに別の角度から光が当たり、隠されている美しいものが見えてくる、というような

 

バルセロナ出身の先生は、建築家のご家族があのサグラダファミリアの建築に携わっていらっしゃるそうです。先生ご自身もまた、音の建築家でした。

授業ではまるで私はすばらしい建築物の中にいざなわれ、細かな内部の仕組みを感嘆しながら見ているかのような気分でしたから。

 

私は毎週の授業がとても楽しみでした。

 

先生はフランス政府から叙勲された方ですが、とても暖かく、誰にでも分け隔てのない本物の紳士でした。後光が射しているような類まれなオーラがあるのです。

パリの冬、底冷えのする石畳の街を授業に行っても、先生の笑顔を見ると心に灯りがともっているような気持ちになったものです。

 

2019年に先生が亡くなられたとの知らせは、帰国して10年が経ってなお、大きなショックでした。どんなにか多くの人にとっての光であったことでしょう。

 

時代を超えて受け継がれてきたものを先生とともに学べたこと、思い返すにつれ本当に幸せなことでした。私にとって一生色あせることのない宝です。